ネオクーロン潜入レポート第四夜
ひとりの男の手による、SIM『KOWLOON』への潜入レポートを、
数回に渡って公開。
果たしてネオクーロンは彼に何を見せ、何を語ったのか・・・
第四夜公開
。
第四夜 「迷宮」
翌日も、私はカメラを手に部屋を出た。
昨夜、あれから深夜まで写真を撮り続けた私は、夜が明けるころになってようやく部屋に戻り、それから昏々と眠り続けた。そして目を覚ました時、窓の外はすでに暗くなり始めていた。完全に昼夜逆転している。
だがそれも、撮影にとってはむしろ好都合だった。この街は、闇の中でこそよく生える。
今日は、昨日は深入りするのを避けていた、細い路地の奥へと足を進めてみるつもりだ。
例の酒場で軽く腹ごしらえをするついでに、バーテンに街の地図はないかと尋ねてみた。バーテンは、ありますよ、と答え、薄いわら半紙にプリントされた手書きの地図をよこしてきた。
龍城路、文成街、大井路、光明路。見覚えのある名前もあれば、見たことのない名前もある。地図の中心には丸く囲まれた「老人中心」という文字が鎮座している。
「ああ、老人中心はあらかじめ使用手続きを出さないとクーロネットのメンバーでも入れませんよ」
バーテンが口をはさんだ。入ってみたい気もするが、明日はもうこの街を離れることになる。いまから届け出を出しても間に合わないだろう。
私は食事と地図の礼を言って酒場を出た。
まったく、この街は迷宮そのものだ。
見覚えのある場所を歩いていたはずが、いつの間にか見知らぬ場所に入り込み、元の場所に戻れなくなる。かと思えば、全く知らない場所を進んでいるうちに、突如として馴染みのある光景の中へと吐き出される。
路地の奥は薄暗く、シャッターを下ろしたままの店も少なくなかった。曲がり角や突き当りなどには大抵、ポストのような形の赤く塗られた装置が立っていた。手を触れると上部の蓋が開いてモニター画面が顔を出す。酒場にあったのと同じ、クーロネットの端末らしい。蒸気圧で動いているのか、蓋を開閉するたびに装置の隙間から白い湯気がもわりと噴き出す。。
路地の奥にも、いたるところに貸部屋や貸店舗の貼り紙があった。こんなところに好きこのんで住んだり店を出したりする人間も少ないのだろう。テナント募集中の看板だけがぽつんと置かれた、がらんとした貸店舗の店先を横目に見ながら、私は路地を進み、シャッターをきりつづけた。
時おり歩き疲れると、例の酒場に立ち寄ってビールで喉をうるおす。撮影のための機械に徹していても、暗く人通りのない路地裏をたったひとりで歩いていると、闇に押しつぶされそうな気分になる。どうにもたまらなく話し相手がほしくなり、地図を頼りにメインストリートへと舞い戻る。
何度も立ち寄るうち、バーテンは私の姿を見ると黙ってビールを出してくれるようになっていた。
「なんだかほっとするな、この店に戻ってくると」
「それは嬉しいですね」
バーテンの態度も、昨日よりはいくぶん親しげに感じられる。たまに歯車がかみ合わないこともあるが、なんだかんだ言ってこの店のバーテンは、目下のところ私の唯一の話し相手となっている。誰か話の通じる人間がいる、ということがこんなにも心休まるものだとは思わなかった。
「しかし、こんな狭い路地だのなんだのばかり撮っていて、そんな写真を喜んで見る人なんているんですか」
「ああ、中にはこういう……なんていうか、その」
まさか住んでいる当人を前にして、汚い、ともいうわけにはいかない。
「……特殊な雰囲気の街の光景を好む人も多いからね」
「そんなものですかね」
「きみ個人としては、どこかこの街でお勧めの場所なんてあるのかい」
話題を変えるため、バーテンに話を振ってみる。
「そうですね……乾清宮なんてどうですか」
「乾清宮?」
「ええ、街の入口とちょうど反対側に、昔風のお堂があるんですよ。静かで落ち着ける、いい場所ですよ」
「静かな落ち着ける場所、ね」
私はあまり気乗りがしなかった。静かで落ち着ける場所よりも、もっと狭くて薄汚れた路地を見ていたい気がした。
私もこの街に馴染んできたのかもしれない。いや、毒されてきたというべきか。
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