ひとりの男の手による、SIM『KOWLOON』への潜入レポートを、

数回に渡って公開。
果たしてネオクーロンは彼に何を見せ、何を語ったのか・・・
第五夜公開。

第五夜「風水」

　あらかたの路地の写真を撮ってしまってから私は、バーテンお勧めの乾清宮へ行ってみることにした。
　地図を頼りに進んでいくと、路地の一角から明るい光が漏れだしているのに行き当たった。中を覗いてみるとそこは、小さな廟になっていた。正面には小さな像を祀った祭壇があり、果物などが備えられている。右手の天井から、渦巻き型の線香がいくつもつりさげられていた。
　神から見棄てられたようなこんな街にも、人々の信仰心が途絶えてはいないことに感心しながら、私は一度しまったカメラを取り出してシャッターをきった。
　廟をはなれてさらに歩くと、街は突然途切れ、その先は海になっていた。どうやらこの街は、孤島のように海に囲まれた場所らしい。私はつまり、街を縦断して入口の反対側へ出てきてしまったわけだ。
　二か所ほど、海に突き出したようになっているエリアがあり、その一方に、白い土壁が浮かび上がって見えた。近寄ってみるとそこは、白い壁を巡らせた古代中国風の庭園になっているようだった。ここが乾清宮と呼ばれる場所なのだろうか。確かに、狭く薄暗い路地の圧迫感に疲れた身には、ちょっとした安らぎが感じられる。
　庭園の外に、もう一方の海に突き出したエリアが見えた。そこは海の上に造られたあずまやのようだった。屋根を支える朱塗りの柱の各々には、魔除けの札が貼られている。
　その時私は、あずまやの中に人影があるのに気づいた。あずまやを囲む桟に寄りかかって、海を眺めている。
　やがて人影は、私が見ているのに気づいたとみえ、こちらへ身を乗り出して手招きをした。向こうへ来い、ということらしい。私は手招きに導かれるように、乾清宮を出てあずまやへと向かった。

あずまやで私を待っていたのは、黒い中国服をまとった若い男だった。東洋人らしいが、中国などに暮らす大陸系の顔立ちとも微妙に雰囲気が違う。あるいは日本人かもしれない。
　私が近寄ると男は片手をあげ、どうも、と人なつこく声をかけてきた。
「私に何か……？」
「いや、別に用があるわけじゃないんだけど、休憩ならこっちの方が神経が休まるよ、って教えてあげたくて」
「ここが……？」
　言われてみれば確かに、今まで着ていた窮屈な服を脱ぎ捨てたかのような安堵感がある。
「ここは、この街で一番風水の整った場所だと思う。おそらく、八卦を意識して立てられているからだろうね。このあずまやは、上から見ると正八角形になっているんだ」
「君は、この街の人かい？」
「いや。ここには呼ばれてきたんだ。ここでやらなきゃいけないことがあるから」
「君は……？」
「風水師、てことになってる。一応」
「一応？」
　男は肩をすくめた。そのことについてはこれ以上言及するつもりはないようだ。
「この街の風水はめちゃくちゃだ。風水そのものが存在しないといってもいい。だから、長い時間あの街を歩き回っていると、しまいには心がやられてしまう。そうならないように、時々ここへ休みに来ることにしているんだ」
　何が「だから」なのか、まるで話が読めない。風水というのは、玄関に黄色いものを置くと金運がよくなるとか、そういう話ではないのか。
　男は、私がぽかんとしているのに気づくと、困ったように笑い、寄りかかっていた桟から身を起こした。
「まあ、独り言だから聞き流しといて。それじゃ、もう行くけど」
　すれ違いざまに、私の方へちらりと視線を投げる。伏せた顔の下のその表情が、私にはにやりと笑っているように見えた。
「気をつけないと、アンタもやばいよ」